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音楽家の思い出


専門家も知らないショスタコーヴィチの死に関わる秘密

第一回
ショスタコーヴィチを殺した男

筆者の作曲の先生の一人に、ショスタコーヴィチの弟子だった人がいます。
ウクライナ人で16歳の頃、自宅に押し掛けて弟子にしてもらったようです。
凄い行動力でもあり、大迷惑でもあります。

初レッスンの直前、彼はショスタコーヴィチ本人から近所の駄菓子屋で「例のブツ」を取ってきてほしいと頼まれました。
中身は教えてもらえませんでした。

彼は駄菓子屋に行き、店主にこう言いました。
「ドミトリヴィッチが欲しいのだけれど」
そうすると店主はニヤリと笑い、包装されたキャンディらしきものが詰まっている瓶を奥から取り出してきました。

そして、いざレッスン。
玄関ではショスタコーヴィチ夫人が出迎えます。
まずは持ち物チェックを受けたそうです。
夫人は彼の抱えている瓶を訝しげに眺めながらも、二階のレッスン部屋へと彼を通しました。

レッスンが始まってから、ショスタコーヴィチはずっと瓶が気になっているようでした。
彼は中に何かとてつもないものが入っているに違いないと思い、すこし怖くなったそうです。

レッスンが終了すると、おもむろにショスタコーヴィチは瓶を持って窓際に近づき、キャンディの包み紙を開けました。
しかしそれはどうみても大粒のチョコレート。

するとショスタコーヴィチは歯でチョコレートを割り、中に入っている液体を吸い、吸い終わると窓から投げて、また歯でチョコレートを割り、吸っては捨ててを繰り返しました。
チョコレートの中身はコニャックでした。

晩年のショスタコーヴィチは体が悪く、医者と夫人から飲酒を禁止されていました。
それなのでこのように弟子を使ってアルコールを手に入れていたようです。
しかも包み紙の文字で夫人にばれないように、ポーランド産のもの限定だったそうです。

このように、彼はレッスンの度にショスタコーヴィチにアルコールを提供しました。

1975年、ショスタコーヴィチ永眠。
死因は肺がんでしたが、もしかすると自分の行動が死期を早めたのかな、なんて今でも彼は思ったりするそうです。


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