Watchburg Music
Cover Photo

知ったかぶりのクラシック


ジャンルを超えて受け継がれる芸術家の遺伝子

芥川也寸志
弦楽のための三楽章

瑞々しい感性と力強さを合わせ持った戦後黎明期の傑作。
ジャンルを超えて受け継がれる芸術家の遺伝子!!

芥川也寸志(1925-1989)は作家、芥川龍之介の三男として東京に生まれました。
クラシック作品以外にも数多くの映画音楽や校歌を手がけており、戦後の日本音楽界の代表的な人物です。
テレビやラジオでの活躍のほか、『音楽の基礎』の著者としても知られています。

2歳の頃に父である龍之介は他界したのですが、その遺品としてのレコードを愛聴するようになったのがクラシック音楽へとのめり込んでいくきっかけだったと言われています。
戦中には学徒動員で陸軍戸山学校軍楽隊に入隊、戦後すぐに東京音楽学校本科をします。

幼少の頃からとりわけストラヴィンスキーのオペラに感銘を受けていた彼は、1954年には国交のなかったソビエト連邦に密入国し、ショスタコーヴィチやハチャトゥリアンをはじめとする作曲家たちとの知遇を得ました。
この時に出会ったロシア人作曲家からの影響が也寸志の後の作品に垣間見られます。
帰国後の活発な音楽活動により、戦後日本音楽界の第一人者としての地位を築きました。

 

この《弦楽のための三楽章》はロシアに渡る以前の1953年に書かれた初期の傑作として知られていて、演奏会で取り上げられる機会も多い代表的な芥川作品です。
作曲家自身も非常に若く、まだ戦後復興間もない頃に書かれたためか、当時の一線で活躍していた作曲家の作品と比べると、非常に明快で複雑さには欠けていますが、その分親しみやすさに溢れた曲調に仕上がっています。

第一楽章 Allegro
力強いユニゾンと躍動的なリズム、そしてロシア民謡を思わせる旋律が印象的です。

第二楽章 Berceuse
愛娘のために書かれた5拍子の子守歌で、非常に穏やかなメロディで第一楽章、第三楽章とのコントラストを感じられます。

第三楽章 Presto
近所の神社から聞こえてきた御神楽から着想を得た、非常に日本的な主題(メインとなる旋律)によるロンドです。

 

それでは聴いて下さい。
芥川也寸志《弦楽のための三楽章》


記事一覧へ戻る