知ったかぶりのクラシック
ミッシングリンクを語る珠玉の名曲 |
リスト |
死の舞踏
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ピアニストとしてのリストと作曲家としてのリスト、ミッシングリンクを語る珠玉の名曲! フランツ・リスト(1811-1886)はオーストラリア帝国領内ハンガリー王国出身の作曲家であり、また歴史上最高のピアニストとも称されています。 幼少の頃から類まれなる音楽の才能を発揮し、11歳ではウィーン音楽院に入学し、映画『アマデウス』で有名になったアントニオ・サリエリや、ピアノ練習曲でチビッコたちにもお馴染みのカール・ツェルニーに師事します。 また同時代の作曲家、ベルリオーズ、ショパン、メンデルスゾーン、シューマン夫妻とも親交があり、19世紀初頭に如何に突出した作曲家達が狭い地域に集まっていたかが窺えます。 演奏活動に力を入れていたリストはヨーロッパを演奏旅行で回り、今のリサイタル(独演会)形式のコンサートを一般に定着させたと言われています。 モテてモテて仕方のないリストは多くのスキャンダルも巻き起こしました。 1859年に宮廷楽長を辞任、1861年にローマに移住してからは、キリスト教を題材にした音楽や当時のクラシック音楽の和声から大きく離れた音楽を作曲していきます。 他にも歴史上最も性格が悪い作曲家と言われるリヒャルト・ワグナーとのエピソードも有名です。
この《死の舞踏》は、1849年に一度完成され、その後改訂を繰り返し、1865年に上記のビューローによって初演が行われました。 この曲は協奏曲(独奏者とオーケストラの対比を中心とした管弦楽曲)と交響詩(単一楽章の表題音楽)の性格を併せ持った曲で、最大の特徴は曲全体がグレゴリオ聖歌の『怒りの日』の旋律を元にした変奏曲だということです。 ちなみにグレゴリオ聖歌『怒りの日』は如何のリンクより参照して下さい。 |
リストは当時としては非常に長命であったためか、初期のピアノ中心の作品、中期のオーケストラ作品、後期のキリスト教的で西洋音楽から外れた和声を持つ作品、と時期によって作風に大きな違いがあります。 それではお聴き下さい。 |
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